猿啄城 |
別名 | 勝山城、猿飛城、根尾山城 |
所在地 | 坂祝町勝山 |
遺構等 | 曲輪、堀切、石垣、土橋、碑、説明板 |
現状 | 山林 |
築城年 | |
築城者 | |
歴代城主 | 西村、田原、河尻 |
形式 | 山城(比200m) 登城口から主郭まで約30分 |
訪城日 | 2007/3/4 |
さるばみじょう |
JR高山本線「坂祝駅」から西へ約1.2km。国道21号「勝山」信号を北へ入り、300m程北上してJRを横切ります。そこから100m程北上した1本目の路地を左折し(道路に案内あり)、正面に登城口の石碑を見ながら500m程西進して右折すると、右手に説明板が見えます。この説明板がある付近が駐車場で、ここから80m程更に歩いた左手が登城口となります。駐車場は登城口の石碑がある所から少し進んだ左手にもありますが、説明板がある所まで車で上がった方が楽です。説明板から150m程南には居館跡があります。 |
登城道はしっかりしているのですが、急階段が続いてしんどいです。山頂まで750mあり、50mずつ残りの距離が表示されています。山頂までは約30分かかります。25分程登ると岩に線彫りされた不動明王があり、その少し上に白河神社(岩)があります。この神社の背後は曲輪で、このお城では一番広くしっかりした削平地となります。ここから主郭はすぐです。主郭はとても狭くてびっくり。展望台を兼ねた模擬櫓と城址碑があり、模擬櫓からの眺望はとてもよくて気持ちいいです。主郭から登ってきた道と反対方向(西)へ進むと石垣があり、そこから下には堀切と立派な土橋が見られます。随分と登った割に、曲輪の小ささのせいもあり、これだけ?とちょっと拍子抜けしちゃいました。山麓の小川の東側には居館跡があります。 |
築城時期は不明だが、応永14年(1407)、西村豊前守善政が在城したが、嘉吉元年(1441)田原頼吉によって落城した。享禄3年(1530)から田原左衛門が居城したが、天文16年(1547)同族の多治見修理が謀反を起こして城を奪い、18年間居城した。永禄8年(1565)、織田信長は丹羽長秀に中美濃攻めを命じ、その緒戦で先陣の河尻鎮吉によって落城した。この時、信長は幸先が良いと猿啄の地名を勝山と改称し、以後勝山城と呼ばれた。河尻鎮吉は戦功により勝山城主となったが、天正3年(1575)岩村城へ移ったため廃城となった。 |