岐阜県のお城 おおたによしつぐじん
大谷吉継陣(西軍)
別名
所在地 岐阜県関ヶ原町山中32
遺構等 土塁、空堀、碑、説明板
現状 山林
築城年 慶長5(1600)
築城者 大谷吉継
歴代城主 大谷吉継
形式 陣所(比40m)
登城時間
空堀
訪城日 2013/7/14 感想
【道案内】 城跡の地図 登城口1 登城口2
JR関ヶ原駅から西へ約2km。国道21号「松尾」信号から800m程西進して右折、JRをくぐって200m程北上した左手が登城口(登城口1)で案内があります。この西側の山に陣とお墓があり、登城口付近に駐車可。または、南麓の若宮八幡神社の参道(JRの南側の集落内に鳥居があり、そこに案内有)からも登れ(登城口2)、こちらからの方が陣へは近いですが、駐車スペースはありません。
【感想・メモ】
陣よりお墓の方が高所にあり、登城口1からだとお墓を見てから下って陣を見ると良いと思います。ただ、お墓への案内はあるものの陣への案内が無いため、見逃さないように注意してください。お墓へと最後の十字路で右へ曲がり、少し登ると墓となりますが、この十字路を左(南)へ下ると陣です。陣には土塁や空堀が残り、また南側の松尾山方面が望めるように木を伐採してくれています。登城口2からだと若宮八幡神社の少し上が陣となり、そのまま登っていくと墓になります。
【歴史】
親友三成に懇請を受けた吉継は、三成の挙兵に対し再三思いとどまるよう説得したが、三成の決意は変わらなかった。旧友の苦痛を察した吉継は、とうとう死を共にする決意をし、死に装束でここ宮上に出陣した。9月3日到着後、山中村郷士の地案内と村の衆の支援で、宇喜多隊らの陣造りも進め、15日未明の三成主力の着陣を待ったといいます。吉継は壮絶な死闘の末、首を敵方に渡すな、と言い残して自害した。お墓は敵方藤堂家が建てたものです。
参考資料
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