野尻城
登城口の地図
市役所和良庁舎から国道256号で1.5km程南西へ進んで右折し、250m程北上すると正面に「戸隠神社」があります。この神社に向かって左手が登城口で、道路に標柱が立っています。戸隠神社に駐車しました。
境城の西大手口を守る出丸砦として築かれた。応仁2年(1468)美濃守護代斉藤妙椿が郡上侵攻の際、野尻城は落城し、和良判官為光土京山中に逃れ討死した。慶長5年(1600)八幡城の戦の際、郡上奪回の兵を発した遠藤慶隆は、白川から進軍し、野尻城と法師丸砦に分かれ宿営した。江戸初期(1605)頃、八幡城主遠藤慶隆の命を受けた遠藤杢之助が城の改修補強工事を行なった。元和元年(1615)一国一城令により廃城となった。(現地説明板より)
【歴史】

一曲輪と二曲輪の間の堀切

戸隠神社は重ね岩が有名なので、それを見てからお城へ行きました。登城道がしっかりあり、出丸と本丸の分かれ目付近には境城の城址碑があって、境城へはここから登ります。出丸は南北に細長い曲輪で、そこから馬場、腰曲輪を通ると城址碑と説明板があります。ここから東が4の曲輪で、西が一の曲輪です。堀切を通って一の曲輪へ入ると南側以外に土塁が巡り、北側には畝竪堀があったようですが、ほとんど埋まってしまいハッキリ分かりません。先程の堀切の南側が二の曲輪、三の曲輪で、どちらも土塁があります。三の曲輪の東側に窪みがありますが、この付近は粘土質なため貯水用だったのかもしれません。全体に遺構がしっかり残っていて見やすく、見応えのある竪堀・堀切もあって、楽しめるお城です。
【感想・メモ】
【道案内】
城跡の地図

別名
所在地 郡上市和良町野尻
遺構等 曲輪、空堀、竪堀、堀切、土塁、碑、説明板
現状 山林
築城年 応永年間後期(1430-34)
築城者 遠藤清左衛門胤善
歴代城主 遠藤
形式 山城(比70m)
登城口から主郭まで約12分
訪城日 2007/12/8
のじりじょう
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