根本砦
JR太多線「根本駅」から南西へ約1.7km。根本駅西南西約600mで国道248号を西へくぐり、800m程西進して左折します。400m程南東へ進んで「根本町11」バス停付近で右折し、400m程南下すると右手に「レザックス」という会社がある奥に「三雄」という会社があります。この会社の右手に砦の説明板があり(右写真)、ここを真っ直ぐ進むと登城口です。車は会社が休日だったため、駐車場に停めさせて頂きました。
【歴史】
山頂まで登城道はあり、途中「旗揚げの松」が見られます。堀切のすぐ南が主郭で、北側の土塁上に碑があり、南側にも郭があります。また、主郭の西側には竪堀が3本連続してあります。主郭の北にも郭があり、その北側にまた堀切があります。ここには土橋もしっかりあります。城域は狭いながらも、遺構はしっかりしていて楽しめます。
【感想・メモ】
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登城口

主郭北の堀切

16世紀後半に、この地で土豪化した若尾氏が、詰の城としてここに砦を築き、平時は山麓の「御殿屋敷」に居住していた。若尾氏は、甲州若尾村出身で、武田甲斐守信長の6代目・若尾甚兵衛を祖とする武田氏の一族であり、釜無川流域に古くから土着した豪士と考えられます。天文年間(1532-55)末から天正年間(1573-92)初頭にかけて、武田勢が東濃へ侵攻して来たのに伴い、根本を最先端の拠点とした。信長の死後、城主若尾甚正は、兼山城主森長可に従い、大原、根本、小木の所領を安堵された。天正12年(1584)小牧羽黒の合戦に、森長可に従い参戦し、根本城主若尾甚九郎元美は戦死したといわれる。

参考資料
『岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第3集(可茂地区・東濃地区)』
現地説明板
【道案内】
城跡の地図
登城口の地図
別名
所在地 岐阜県多治見市西山町2丁目
遺構等 曲輪、土塁、堀切、竪掘、虎口、碑、説明板
現状 山林
築城年 天正年間(1573-92)
築城者 岩尾氏
歴代城主 岩尾
形式 山城(比80m、標285m)
登城口から主郭まで約10分
訪城日 2011/12 感想
ねもととりで