登城口の地図
久々利城
【感想・メモ】


井戸
別名
所在地 可児市久々利字薬師洞
遺構等 曲輪、土塁、堀切、竪堀、井戸、碑、説明板
現状 山林
築城年 延元・正平年間(1336-70)
築城者 土岐康貞
歴代城主 土岐、久々利
形式 山城
登城口から主郭まで約10分
訪城日 2003/2/15
【道案内】


堀切
くくりじょう
主郭目指して登り出すと石組みの井戸があります。その後、三の丸から二の丸・本丸を見上げると、2段の切岸があまりにもステキすぎて、思わず「うわ〜っ」と感嘆の声をあげたくらい。こんなステキな切岸は初めて見ました。その後、二の丸、本丸へ行き、本丸北側の土橋を渡って更に木の枝などを掻き分け奥へ行くと、立派な堀切があります。奥にも堀切がありそう・・・と思い見に行ったら、3本連続であり、2本目の堀切は特に深くて格好いいです!ぐるりと廻って今度は西出丸へ。こっちは草ボウボウであまり整備がされていません。入って左手を見ると、水堀?始めは広いが、奥へ行くと狭くなっていき、でも水がある。更に奥へ行くと、広い曲輪があり、低い段上になっている。その段になっている部分に、石積みがされている。2段目まで石積みがあったが、この辺は植林されたり、椎茸栽培をしていた様子です。このお城は感動する位にオススメのお城です。
TOPページへ
国道21号「高倉口」信号を南へと県道381号に入り、「二野・羽崎」の信号を左折して県道84号に入ります。そこから1.5km程行くと、道の右手に久々利郷土歴史館があり、この歴史館の右手前方(車で来た道だと、歴史館を通り越してすぐの左手)が城跡です。道沿いの登城口に、城跡碑と縄張り図付きの説明板があり、可児市が建てた、紋・城名・城の説明付きの石碑もあります。
【歴史】
延元・正平年間(1336-70)、美濃国守護・土岐頼康の弟である土岐康貞が築城した。天正10年(1582)、金山城主・森長可に攻められるまで代々久々利城主だった。
二の丸・本丸切岸