小寺城 |
池田ふれあい街道沿いに「小寺城西へ200m」標柱と説明板があります(県道260号の西側に平行している通りで、安国寺から300m、白山神社から150m北)。ここを西進するとゲートがあり、「関係者以外立入禁止」看板があったのですが、たまたま地主さんがみえたので許可を得て入りました。車はゲート手前に停めて歩きました。更に道を進み茶畑(放棄地)の間を進み、山へ入ると城です。所々に案内があるのですが、看板の向きが変わっているものがあったので矢印に従わない方が良いでしょう。 【感想・メモ】 城内にも説明板がありましたが城っぽい雰囲気ではなかったので、もっと上かと思い登ってみたものの何も無し。標高270m付近の平場が城のようです。 【歴史】 稲葉家の祖・稲葉塩塵に守護土岐成頼が西美濃の守りを固めるため築城させた。塩塵は四国の名族・河野氏の血を引き、この地に稲葉家を興し、本郷城の国枝氏を凌ぐ勢力を持った。大永5年(1525)牧田合戦に子息通則以下「局」の母「安」の父道明等の一族の多くは、戦死の大打撃を受けた。この時、稲葉一鉄が家督を継ぎ、三代目城主となった。天文3年(1534)一鉄は曽根城へ移ったため、小寺城は廃城となった。 |
別名 | 池田山城 |
所在地 | 岐阜県池田町小寺 |
遺構等 | 曲輪、竪堀、説明板 |
現状 | 山林 |
築城年 | |
築城者 | 稲葉塩塵 |
歴代城主 | 稲葉 |
形式 | 山城(比130m、標270m) |
訪城日 | 2021/4/30 |
こでらじょう |