揖斐陣屋 |
国道417号「昭和町」信号から300m程北上し、「揖斐小学校」手前の路地を右折します。300m程東進して左折し、少し行って右折すると、「竹中医院」があります。小学校の前の通りより北側の通りです。その竹中医院の東側に石碑があります。この付近が陣屋跡です。 |
別名 | |||
所在地 | 岐阜県揖斐川町三輪北新町 | ||
遺構等 | 碑 | ||
現状 | 宅地 | ||
築城年 | 慶長5(1600) | ||
築城者 | 西尾光教 | ||
歴代城主 | 西尾 | ||
形式 | 平城 | ||
訪城日 | 2010/9 | 感想 | × |
いびじんや |
道がちょうど枡形になっているのは、当時の町割りがそのまま残っているのかな?石碑の周囲の水路は堀跡かも?? |
慶長5年(1600)、西尾光教が関ヶ原の戦いでの戦功により1万石を加増され、3万石の領主として安八郡曽根より移り、この地に築城した。光教には子がなく、外孫の嘉教を養子に迎えて跡を継がせたが、嘉教にも子が無かったため、元和9年(1623)に嘉教が他界して後、御家断絶となった。それに伴い幕領となり、美濃代官であった岡田将監善同が支配した。善同は西尾氏の城址に陣屋を築いた。善同は、治水事業に大きな功績を残した。 |