鍋山城 |
別名 | |
所在地 | 高山市松之木町 |
遺構等 | 曲輪、石垣、堀切、竪堀、虎口、碑、説明板 |
現状 | 山林 |
築城年 | 天文年間(1532-55) |
築城者 | 鍋山豊後守安室 |
歴代城主 | 鍋山、三木、金森 |
形式 | 山城(比163m) 登城口から主郭まで約15分 |
訪城日 | 2005/11/5 |
なべやまじょう |
国道158号「松之木町東」信号を南東へと国道361号に入ります。1.2Km程東進した「漆垣内町」信号を左折して400m程北上した2本目の路地を左折し200m程行くと、右手に「四天王神社」があります。この神社に向かって左横に大手登り口があります。 |
神社の左横に鍋山城大手の碑があり、そこから要所要所に碑があるので登山道で迷いません。5分程行くと屋敷跡があり、そこから10分程で主郭下の石垣が見られます。石垣はかなり残っていて見ごたえあります。主郭は長細くて結構広いです。先には2郭への道もあったけど一旦戻って今度は出丸の方へ行きました。途中、堀切があり、出丸には立派な竪堀があります。こちらにも少し石積みが見られました。全体的に見所があって楽しめるお城です。 |
天文年間(1532-55)、鍋山豊後守安室が築城した。安室は飛騨における三木氏の勢力が増大すると三木氏に従い、三木自綱の弟・顕綱を養子に迎えた。しかし安室は顕綱に毒殺され、顕綱も武田氏に通じたとして自綱に殺された。そして、鍋山城には自綱の三男・李綱が入城した。天正13年(1585)、金森長近の飛騨侵攻で落城した。金森氏の入国時は鍋山城を居城としたが、その後、利便性等から高山城に移転したため廃城となった。 |
主郭石垣 |
出丸の竪堀 |
屋敷跡 |