城跡の地図
小鷹利城
別名
所在地 飛騨市河合町稲越
遺構等 山林
現状 曲輪、土塁、堀切、竪堀、横堀、畝状竪堀、碑、説明板
築城年 建武年間(1334-38)
築城者 姉小路頼鑑
歴代城主 姉小路
形式 山城(比100m)
訪城日 2005/11/4
【道案内】


【感想・メモ】
こたかりじょう
【歴史】
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国道41号「野口」信号を西へと県道75号に入り、4.5km程進んで「湯峰トンネル」を抜けます。そこから500m程行って左折し小川を渡り、1本目の路地を右折します。少し行くと左手に林道があるので、そこを左折して林道を1.5Km程行った左手が城跡です。左手に「菅谷境」の説明板を過ぎ、500m程行った辺りで、左側に大きな岩山があります。ここから山側へ向かうと「馬場跡」の案内があり、20m程登ると三の丸となります。
城跡へと向かったら、オバサマ4人組も城へ向かう途中でした。城に興味があるのだろうか?登城口が分からず、強引に入り込んだおかげで、違う尾根先端の遺構を見ることができたけど、オバサマ方も道連れに。三の丸に入ると紅葉がすごく綺麗で、急に別世界へ入ったかのよう。あまりの綺麗さに暫し佇んじゃいました。主郭で昼食にしたら、10人も居る賑やかさ。畝状竪堀に堀切など城の遺構も楽しめ、大満足でした。
建武年間(1334-38)、姉小路頼鑑が飛騨国司となって下向し築城した。後に頼鑑は小島城に移り、家臣の黒内越中守に守らせた。その後、姉小路氏が衰退すると家臣の牛丸重親が城を乗っ取った。重親の死後、城主・牛丸親綱は、三木自綱・広瀬宗域の連合軍に奇襲され城は落城し、親綱は、越前大野の金森長近の元へ亡命した。金森長近の飛騨侵攻の際、小鷹利城は落城して廃城となった。
三の丸
竪堀
本丸