富繁城 |
別名 | |
所在地 | 米子市淀江町富繁 |
遺構等 | 曲輪、碑、説明板 |
現状 | 畑 |
築城年 | |
築城者 | 福頼氏 |
歴代城主 | 福頼 |
形式 | 丘城 |
訪城日 | 2007/5/2 |
とみしげじょう |
国道9号沿いの「米子市役所支所(旧淀江町役場)」北側の信号を東へと県道299号に入ります。1km程進んだ信号を右折して県道299号をキープし、1.2km程南下して左前方角に「改善センター」がある交差点を右折します。宇田川を渡って100m程西進すると、道路左手に城址碑があります。この左手の小高い丘が城跡で、城址碑付近に駐車可能です。 |
石塔 |
城跡は畑になっていました。城は単郭で、遺構は特にないですが、畑の奥に石塔があります。 |
富繁城は、前面に本宮川が流れ、後方は深い谷で守られた天然の要害です。戦国時代、山名氏ゆかりの福頼藤兵衛の一族が居城したといわれる。東伯耆と西伯耆、日野方面を結ぶ交通の要衝だったため、幾度か攻防を繰り返されたが、天正9年(1581)、豊臣秀吉の鳥取城攻略の際、吉川経家と共に戦い、落城の時に切腹した山名氏の重臣・森下道与がこの城に在城したともいわれる。 |
本丸 |