島根県のお城 せとやまじょう
瀬戸山城
別名 赤穴城、藤蔓城、衣掛城、藤釣城
所在地 島根県飯南町下赤名
遺構等 曲輪、土塁、竪堀、堀切、石垣、石段、説明板
現状 山林
築城年 永和3年(天授3、1377)頃
築城者 佐波(赤穴)備中守常連
歴代城主 赤穴氏、堀尾氏、松田氏、山中氏
形式 山城(比170m、標631m)
登城時間 登城口から主郭まで約25分
三郭から二郭・主郭を望む 訪城日 2013/4/25 感想
【道案内】 城跡の地図 登城口の地図
飯南町役場から南南東へ約600mの赤名小学校の南東の山が城。赤名小学校の北東上(小学校北側道路を東へ進む)が登城口(案内有)で山頂まで約1km。付近余白に駐車しました。
【感想・メモ】
登山道は整備され20分程で美しい切岸が見えてきますが、途中堀が見られます。大手門や主郭周囲の石段や石垣が見事で、破城の情緒たっぷり。城の主要部は草木が払われ、主郭からの眺望が圧巻です。南西郭には土塁があり、この北西尾根は藪が酷く堀切や竪堀は未確認。東郭群は先端に堀切があり、更に東尾根を進むと武名ヶ平城に至ります。登城口北方約200mには城主松田左近将監吉久の墓もあり、登山道からも行けるので(墓の案内有)下山時に寄ると良いでしょう。また「道の駅赤来高原」にも城の案内板があります。
【歴史】
赤穴荘の地頭となった佐波備中守常連が赤穴氏を称し、永和3年(1377)築城に着手したといわれる。出雲・石見・備後の国境に接し、戦国時代には月山富田城の支城として度々戦場となった。特に天文11年(1542)大内氏による尼子遠征の戦いでは尼子氏に属し、城主赤穴光清は地の利を生かした奮戦をし、後の大内氏・尼子氏の決戦で尼子方を勝利へ導いた。江戸時代、堀尾吉晴からこの城を賜った堀尾氏重臣の松田左近将監古久は城を近世城郭に改修し、城下町を整備し、赤名宿の基礎を築いた。二代目城主・堀尾因幡は左近の子で堀尾吉晴の娘婿。その後、堀尾氏にかわり出雲国を治めた京極氏は山中織部を瀬戸山城に派遣したが、元和元年(1615)一国一城令により廃城となったとされる。
参考資料】
『島根県中近世城館跡分布調査報告書(出雲・隠岐の城館跡)』島根県教育委員会発行
『山陰の城館跡〜攻防の跡をたずねて〜』山陰史跡整備ネットワーク会議(小冊子)

登城口

大手門

二・主郭への石段

主郭から(二・三郭方面)

南西郭の土塁

東郭群の堀切

松田左近将監古久の墓
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