島根県のお城 ぬくゆじょう
温湯城
別名
所在地 島根県川本町川本
遺構等 曲輪、土塁、堀切、竪堀、石垣
現状 山林
築城年 南北朝時代
築城者 小笠原長氏
歴代城主 小笠原氏
形式 山城(比180m(Pから135m)、標219m)
登城時間 登城口から主郭まで約15分
訪城日 2013/4/25 感想
【道案内】 城跡の地図 登城口の地図
JR三江線「石見川本駅」から南東へ約1.6km。川本小学校西側の信号から県道31号で1.3km程南下し、川を渡ってすぐを左折します。川沿いの林道を600m程進むと民家が一軒あり、この付近に駐車可能です。登城口は、この少し先の鉄塔整備用の道です。
【感想・メモ】
登城口
道は途中からちょっと怪しくなりますが、適当に登っていくと広い郭(バセンバと呼ばれる郭)に至り、登りきった山頂が主郭です。この東下の二郭は東西に長く、東端に櫓台があります。その先の連続堀切はうっすらしていて期待外れです。また、北西尾根には畝状竪堀があるのですが、こちらもかなり浅いです。更に進むと連続堀切があり、その先に「クラヤシキ」と呼ばれる郭がありますが、酷い藪です。石積みもあるのですが藪に埋もれて分かりにくいです。城内は全体に藪な上、堀は浅く、遺構が分かりにくいです。
【歴史】
東尾根の堀切
南北朝時代に小笠原長氏が築城し、それまでの赤城から本城を移したといわれる。小笠原氏は出羽氏と共に北朝方だったため、文和3年(正平9、1354)には足利直冬に温湯城は攻められている。天文・弘治年間(1532-58)頃、小笠原氏は石見銀山に大きな影響力を持っていたが、毛利元就と尼子晴久が石見銀山の争奪戦を始めたため、小笠原氏は毛利氏と戦った。永禄元年(1558)、毛利軍に温湯城は包囲されたため降伏し、江の川北岸に追われた。
参考資料】
『島根県中近世城館跡分布調査報告書(出雲・隠岐の城館跡)』島根県教育委員会発行
『日本城郭大系』新人物往来社発行
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