【道案内】 |
城跡の地図 |
登城口1の地図 |
登城口2の地図 |
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勝山城新登城口 |
京羅木山山頂から北東尾根を進んだ標高約405mの三角形の頂部が城で、北側の金刀比羅神社から登るのが一般的で登山道は整備されているようです(登城口1)。私は、京羅木山城、勝山城と縦走したため、勝山城登城口から登り(登城口2、写真@)、20分程で尾根道に合流したら左へ(写真A)(勝山城は右)。この先暫く案内は無く、途中倒木がありましたが、道には迷いません。西北西へと15〜20分程進むと土塁や堀と思えるものが見えます。勝山城との分岐から25分程で京羅木山城との分岐となる鞍部に出たら右へ(写真B、京羅木山城は左)。ここから5分弱で主郭です。ちなみに、勝山城登城口から京羅木山陣城、京羅木山城、勝山城と縦走し登城口に戻るまで約3.5時間でした。
※2018年に南東麓から直接勝山城へ登る道が整備されたようですので、登城口2は使わず、登城口1から京羅木山城→陣城→勝山城→勝山城新登城口(または逆コース)と縦走すると良いでしょう。 |
【感想・メモ】 |
勝山城との分岐から15分程進むと堀や土塁と思えるものがあちこちに見えてきますが、これらも毛利氏が築いた城砦群の一部と思われます。こういう遺構が見られるので縦走はオススメです。主郭には三郡山と書かれたプレートがあり、藪ですが周囲に畝状竪堀が張り巡らされています。 |
【歴史】 |
天文12年(1543)、山口の大内義隆が尼子氏の月山富田城攻めのため、宍道から京羅木山へ陣を移したが、同年、出雲の諸将たちが尼子氏に寝返ったため大敗した。永禄7年(1564)から同8年にかけて広島の毛利元就が星上、京羅木の両山に進出し、京羅木山から勝山城にかけて城砦化し、勝山城に本陣を置いた。2年間に及ぶ富田城包囲で兵糧攻めにした。 |
【参考資料】 |
『島根県中近世城館跡分布調査報告書(出雲・隠岐の城館跡)』島根県教育委員会発行
『山陰の城館跡〜攻防の跡をたずねて〜』山陰史跡整備ネットワーク会議(小冊子) |