【道案内】 |
城跡の地図 |
登城口の地図 |
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布部小学校の北側の山が城。小学校の東下を南北に通る集落内の道沿いに「要害山」の案内があり、そこから徒歩で登城できますが(駐車場所無し)、私は小学校西側の布辨神社から登りました。先程の小学校東下の通りから西へ入り、小学校の南から西へ回り込むように進むと、右手に布辨神社があり、神社境内まで車で行けます。この神社社殿に向かって右手が登城口です。 |
【感想・メモ】 |
主郭を北端に置き、南の堀切(竹薮です)の先に鉄塔が建つ南郭が、ここから南と南西の二又に分かれ、南は3段程郭が続き、東屋があったりと整備されています。南西は布辨神社からの登城途中に見た時、規模の大きさにびっくりした大堀切があり、その南西に郭があるのですが、こちらは藪が酷いです。主郭は360度のパノラマで眺望が素晴らしいです。愛宕神社が祭られ、説明板が置かれています。 |
【歴史】 |
築城に関しては詳細不明。布部城は月山富田城の外郭に当る支城で、富田城へ通じる主要な街道を押さえる位置にあった。毛利氏が尼子氏の富田城を開城させた後、尼子氏再興を図った尼子勝久らは富田城奪還を目指し、布部城を尼子の武将森脇市正久仍が陣取った。元亀元年(1570)2月14日、毛利輝元を総大将に吉川元春・小早川隆景ら率いる1万4千の兵と、尼子勝久率いる武将山中鹿介幸盛ら7千の兵が激突した。布部城にて激戦を展開したが、尼子方は300の死者を出し、松江末次城目指して総退却となった。 |
【参考資料】 |
『日本城郭大系』新人物往来社発行 |