城跡の地図
高越城
井原鉄道井原線「早雲の里荏原駅」から東北へ約1.5km。早雲の里荏原駅の東北約600mにある「荏原小学校」西側道路を200m程北上して右折します。ここから要所に案内があるのでそれに従います。高越山が城跡で、すぐ近くまで車で行けます。
【歴史】
高越城は、鎌倉時代末、蒙古襲来に備えて幕府が宇都宮貞綱に命じて作らせたと伝えられている。戦国時代には、京都伊勢氏の一族の備中伊勢氏が那須氏に代わって荏原荘を治め、この高越城を居城にしていた。伊勢新九郎盛時(後の北条早雲)は、この備中伊勢氏出身で、永享4年(1432)父伊勢盛定の子としてこの地に生まれた。新九郎は、青年時代までこの城で過ごし、西江原の法泉寺で学んだといわれている。その後、30代で京都伊勢氏の養子となり、京都に上がり幕府に仕え、応仁の乱の後、妹の嫁ぎ先の駿河国(現在の静岡県)の守護今川家に身を寄せた。新九郎は、この今川家の家督争いを治め、56歳にして初めて駿河国の興国寺城の城主となった。その後、伊豆国(現在の伊豆半島)、相模国(現在の神奈川県)を治め、88歳で亡くなるまで、北条5代100年の関東支配の基礎をつくり、戦国大名の魁となった。(現地説明板参照)
別名 高越山城
所在地 岡山県井原市神代町
遺構等 曲輪、碑、説明板
現状 城址公園(高越山)
築城年 鎌倉時代末期
築城者 宇都宮貞綱
歴代城主 宇都宮氏、那須氏、備中伊勢氏
形式 山城(駐車場から比35m)
標高172.6m
駐車場から主郭まで約5分
訪城日 2009/9 感想
【感想・メモ】
駐車場から冠木門をくぐり、上がっていくと城跡です。主郭には東屋があり、一段高い所に城址碑や「北条早雲誕生地」の石碑があります。城址公園となっていますが、遺構としては特に楽しめるものもなく、眺望を楽しむのと、早雲誕生地に来た!という満足感に浸れる位です。「早雲の里荏原駅」に早雲の可愛らしい石像が、「法泉寺」には早雲と父のお墓があります。
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【道案内】

たかこしじょう