大廻小廻城 |
大廻山、小廻山一帯を含む山城で、石塁がある西側の三つの谷を取り込んだ総延長約3.2kmの土塁(外郭線)で築かれている。大廻山と北西および西側の谷を取り込んだ単郭式の縄張で、663年の「白村江の戦い」の後、国内防備を固める目的で国家規模で築かれた朝鮮式山城の一つといわれるが諸説ありはっきりしない。谷筋には水門状石塁を構え、構造的な特徴から神籠石系山城の部類に入り、石塁はそれぞれ一の木戸、二の木戸、三の木戸と呼ばれている。一の木戸は防護壁であると共に城内の水を排水するための施設でもあり、石塁の前面には排水口が口を開けている。 (『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板 参照) |
大廻山・小廻山の周囲が城跡で、「一の木戸」はJR山陽本線「瀬戸駅」から南西約2.5km、環太平洋大学から南東へ約300m(県道96号を渡った所)に案内があり、環太平洋大学の南200mにある瀬戸町郷土館に駐車できます。案内から南東へ約600m(徒歩約15分)が木戸跡です。 |
別名 | 築地山城 | ||
所在地 | 岡山県岡山市東区草ヶ部 他 | ||
遺構等 | 土塁、石塁、説明板 | ||
現状 | 畑、山林 | ||
築城年 | 7世紀? | ||
築城者 | |||
歴代城主 | |||
形式 | 古代山城(神籠石系山城) | ||
訪城日 | 2010/4 | 感想 | ○ |
一の木戸には説明板があり、石塁が見られます。また、大廻山と小廻山の中間(分岐点)には説明板がありますが、周りは畑で特に何もないです。その他、県道220号から大廻山・小廻山に入る所にも説明板があります。 |
大廻山と小廻山の中間地点にあった説明板
一の木戸
おおめぐりこめぐりじょう |