三石城

大手門石垣
別名
所在地 岡山県備前市三石
遺構等 曲輪、土塁、堀切、井戸、石垣、大手門跡、畝状竪堀、横堀、説明板
現状 山林
築城年 正慶2年(元弘3、1333)
築城者 伊東大和二郎
歴代城主 伊東氏、浦上氏
形式 山城(比210m、標291m)
登城口から主郭まで約25分
訪城日 2010/5 感想
【道案内】 登城口1の地図 登城口2の地図 城跡の地図
JR山陽本線「三石駅」から北西へ約700m。三石駅から南西へ400m程進んだ右手の案内板から登れます(登城口1 駐車場無)。車の場合、駅から北東へ300m程進んで左折し「深谷の滝」を目指します。右手に深谷の滝を過ぎ、更に500m程直進して左折し(案内有)、約1km先の道路終点が登城口で説明板があり、ここに駐車できます(登城口2)。

【感想・メモ】
登城口2から約1km南がお城ですが、ここからだとアップダウンがあるとはいえ高低差が少なくて楽かと思います。最初のピークが出丸かと思ったら違い、まだ先?とガッカリしますが、登り始めて20分程で鶯丸(出丸)に着きます。鶯丸のすぐ手前には連続堀切がありますが、郭内は藪で通路のみが確保されています。このすぐ先に大堀切があり、堀底道沿いには石積みも見られます。主郭は楕円形で西側に土塁があり、中央付近に居館跡という基壇があり、石がゴロゴロしています。この南西に二の丸・そしてかなり細長い三の丸があり、この北側には馬場があります。この北下方に大手曲輪があり、大手門石垣が立派で見応えあります。他にこのお城には井戸が幾つかあるのですが、ここから堀底道を通って戻る途中、下方に目をやると、水が溜まった湿地(池)もありました。

【歴史】
正慶2年(元弘3、1333)地頭の伊東大和二郎が南朝方に与し、三石城を築いた。建武2年(1335)には新政府方だった三石城だが、翌建武3年、足利尊氏が九州へ敗走する際、三石城に足利勢が籠城し、新田義貞は攻略に失敗しており、三石城は足利方の手に渡っていた。その後、室町幕府成立により備前国守護職が赤松氏となると、備前守護代として入った浦上宗隆が三石城を拠点とし、以後浦上氏の居城となった。浦上氏は村宗の代に備前東部から播磨西部にかけて領したが、村宗死後領地が二分され、備前東部を継いだ宗景が享禄4年(1531)天神山城へ移ったため三石城は廃城となった。
(『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板 参照)

みついしじょう