鬼身城

別名
所在地 岡山県総社市山田
遺構等 曲輪、石垣、碑、説明板
現状 山林
築城年 不詳
築城者 不詳
歴代城主 今川上総介泰範、上田氏、宍戸備前守元継
形式 山城(比100m、標284m)
登城口から主郭まで約15分
訪城日 2010/4 感想

【感想・メモ】
登城口に杖が置いてあり、ここから10分程で城域に入ります。主郭には諏訪神社が祭られ、標柱や説明板があり、眺望も良いです。ここから北に段郭があり、石垣が見られますが藪に隠れ、崩落している部分も多いです。扇を広げたような「扇の縄」と呼ばれる連郭式山城のようですが、藪で見難く、全体を掴みづらかったです。
県道80号「新本郵便局前」信号を北へと県道54号に入り、600m程北上して右折します。250m程東進した2本目路地を左折し、1.4km程道なりに北上した突き当りを左前方に進みます(左折ではない)。300m先で華光寺が左折となる所を右手へ進み、200m先で左手に池を見ながら、更に林道を約700m進んだ峠が登城口で、駐車スペースもあります。林道は狭いので、自信が無ければ池付近に駐車して歩くのをオススメします。
築城時期は源平合戦の頃まで遡るほど古く、南北朝時代末期の至徳2年(元中2、1385)頃は今川上総介泰範が城主だった。文亀元年(1501)頃からは上田氏が代々居城し、三村氏に属した。当初毛利氏に属していた三村氏は天正2年(1574)反旗を翻したため、天正3年(1575)備中兵乱により三村方の鬼身城も数万の毛利兵に攻められ落城した。以後毛利氏の将宍戸安芸守隆家の居城となり、城代に佐々部美作守が在番した。その後、隆家の嫡子左衛門佐元秀の子備前守元継が城主となり8万石を領したが、慶長5年(1600)関ヶ原合戦後に廃城となった。

(『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板 参照)
【歴史】
【道案内】
登城口の地図
城跡の地図

主郭

きのみじょう
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