【道案内】 |
登城口の地図 |
城跡の地図 |
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JR福塩線「塩町駅」から南東へ約1.1km。塩町駅北方の国道184号「塩町」信号から1.2km程東進すると城の案内があります。この南方の小山が城跡ですが、城へは更に150m程東進した1本目路地を右折し、JRを越えて150m程南下した1本目を右折、200m程西進すると右手に標柱があり、その奥が城跡です。車は付近の余白に駐車しました。 |
【感想・メモ】 |
国道を通っていたら案内を見つけたので寄りました。国道の案内がある路地を南へ入ると説明板がありますが、ここからだと線路があるので城へは入れません。城は基本的には単郭の館で南と東に土塁があります。 |
【歴史】 |
天文年間(1532-55)、新宮甲斐守が築城したといわれる。この城の西北西約2.5kmに位置する高杉城主・祝氏がこの地域を支配しており、天文22年の毛利氏による高杉城攻略の際、新宮甲斐守は城を脱出して三良坂町長田の寄国まで逃れたがここで自殺し、城は廃城となったと伝わる。 |
【参考資料】 |
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』広島県教育委員会発行
『日本城郭大系』新人物往来社発行 |