国道2号(西条バイパス)「御薗宇ランプ」を下り、信号を南へ入って1km程進むと左手に「鏡山公園」があります。この公園の南にある鏡山が城跡で、公園に無料駐車場が完備されています。公園の入口は北側ですが、公園南からも登城道があるようです。 |
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【感想・メモ】 |
公園入口に城址碑があり、城跡への案内もあります。約1kmの道のりで、距離は長いですが城跡の東側から入ります。東側の竪堀や、南斜面の畝状竪堀、西端の二重堀切と長大な竪堀、北斜面の畝状竪堀と見所盛り沢山です。郭は東端に5郭、その南西下に4郭、その西に3郭があり、この北上に2郭、その西に本丸(御殿場)が配置されており、城内には井戸が4つありました。また、3郭から南へ下る道があり、こちらに大手門跡があります。道は下の方まで見えたので城の南からも登れそうです。また、尾根続きの東側にも遺構が見られます。2007年に訪れた時は藪の奥にどうにか畝状竪堀が見えた程度だったのですが、今回は木や草が伐採されており、ほとんど全ての遺構がはっきり見渡せ、周囲に設けられた畝状竪堀には特に大感動でした。 |
【歴史】 |
山口の守護大名大内氏が安芸国西条地区支配のためと、瀬戸内海中央部を押さえる目的で築城した。室町・戦国時代には大内氏の代官が在城して西条地域だけでなく安芸国支配の拠点としていた。安芸国は、大内氏と海外貿易を巡って対立する細川氏との接点となっていたため、鏡山城を巡って攻防が繰り返され、特に応仁の乱では主要な舞台の1つとして激戦が行われた。大永3年(1523)出雲の尼子経久によって包囲されても容易に落とされなかったが、毛利元就によって落城したといわれる。同5年、大内氏は城を奪還したが、拠点は盆地西方の杣城、槌山城に移され、鏡山城はその役割を終えた。 |
【参考資料】 |
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書2』広島県教育委員会発行
『日本城郭大系』新人物往来社発行 |