広島県のお城 ごりゅうじょう
五龍城
別名
所在地 広島県安芸高田市甲田町上甲立
遺構等 曲輪、土塁、堀切、竪堀、石垣、井戸、碑、説明板
現状 山林
築城年 南北朝期
築城者 宍戸朝家
歴代城主 宍戸
形式 山城(比130m、標312m)
登城時間 本丸まで15分、御笠丸まで25分
本丸
訪城日 2012/5/3 感想
【道案内】 登城口の地図 城跡の地図
JR芸備線「甲立駅」から西北西へ約900m。甲立駅西方から県道52号で600m程北西へ進み、江の川を渡り終わって右折する と、すぐ左に「甲立駅口」バス停があります。このバス停の横の神社入口が登城口で、バス停横に駐車スペースがあります。
【感想・メモ】
神社の鳥居付近に城址碑や説明板があり、ここから登ります。道は整備されており、いきなり急な階段を登ると社殿がある尾崎丸です。ここから本丸まで429mの表示があり、思ったより距離がなく、登りも大したことがないため、15分程で本丸に到着します。尾崎丸背後の堀切を隔てて一位の段があり、ここには祠があります。その先の矢倉の段、立派な土塁や堀切を越え右手に少しそれると釣井の段(井戸)、三の丸、二の丸と続きます。かなり広い曲輪で、適度に木々も伐採されて見通しもよく、切岸に感動します。更に桜の段、姫の丸と続き、本丸があります。本丸には高い土塁に石垣が入っていたり、側面にも石垣があり、背後に大堀切があります。更に南尾根を10分程行くとまた広い曲輪が続き、石垣が見られます。最南の曲輪は御笠丸で、特に南側の土塁は高く、背後に堀切や石垣があり、その先の一騎駆けの両側に連続竪堀がある構造も圧巻。他にも西斜面の竪堀やあちこちに散在する石など見応えたっぷりで、ダイナミックな山城を十分堪能できるオススメのお城です!
【歴史】
甲立盆地の西南端の丘陵先端部にある山城で、南北朝期以後、慶長5年(1600)の毛利氏防長移封までの約250年間、宍戸氏の本城だった。宍戸氏は常陸国宍戸にいた宍戸朝家が、元弘3年(1333)足利尊氏と共に六波羅攻略の戦功で、翌建武元年(1334)安芸守に任ぜられ、甲立荘を領し、当初菊山中腹の柳ヶ城へ入ったが、その後元木山に城を移した。しかし用水がないため、五龍王を勧請して祈願したところ、井戸が湧出したため山の名前を五龍と改めた。堅固な山城で、毛利氏も幾度かこの城を攻めたが落城させることができず、天文2年(1533)、8代城主隆家と毛利元就の娘との婚姻により両氏は和睦した。所領は約15万石だった。9代元続は、慶長5年(1600)毛利氏の防長移封に伴い、周防三丘(約1万2千石)に移った。
参考資料
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』広島県教育委員会発行
『日本城郭大系』新人物往来社発行
矢倉の段の北堀切 本丸東側面の石垣 本丸背後の堀切 御笠丸背後の連続竪堀
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