東条城
別名
所在地 愛知県西尾市吉良町駮馬城山
遺構等 模擬櫓、土塁、虎口、碑、説明板
現状 公園
築城年 貞応年間(1223頃)
築城者 足利義氏
歴代城主 足利、吉良
形式 平山城(比20m)
訪城日 2005/3/12
とうじょうじょう
【道案内】 城跡の地図
道路に城の案内があり、無料駐車場も完備されています。
【感想・メモ】
平成元年のふるさと創生1億円でこのお城は公園として整備され、櫓が造られたが令和に入って撤去されました。虎口、空堀、土塁が明瞭に残っており、八幡神社は二の丸で土塁が残っています。また、道路を挟んだ北側のみかん畑の奥の墓地にも土塁が残っています。
【歴史】
三河吉良氏の本城。承久3年(1221)足利義氏が承久の乱の戦功で三河国守護職に任じられ築城した。その際、西条城は長男・長氏を置き、東条城には三男・義継を置いた。5代目・満家の時、観応2年(正平6、1351)頃、奥州管領の地位を確立した。奥州出兵で空いた東条城へ、西条吉良氏・満義の三男・尊義が入り、10代・義昭まで続いた。永禄4年(1561)松平元康が攻め西条城は落城し、東条城は義昭が和睦を願い出たため鳥居忠吉と松平信一が入った。永禄6年、三河一向一揆が勃発すると、許されて岡山城に居た義昭は家康に背いて東条城に入り、一揆方の将として戦った。しかし翌年、一揆との和議が成立し、義昭は城を追われた。その後、東条城には家康の家臣が入ったが、天正18年(1590)家康の関東移封に伴い廃城となった。
墓地に残る虎口 東条城縄張図  原図:石川浩治氏
愛知県中世城館跡調査報告書U(西三河地区)より