城跡の地図
酒呑城
別名
所在地 豊田市幸海町城の腰
遺構等 曲輪
現状 山林
築城年 文明年間(1469-87)
築城者 鈴木重時
歴代城主 鈴木
形式 山城(比70m)
登城口から主郭まで約10分
訪城日 2005/5/15
【道案内】


【感想・メモ】
しゃちのみじょう
【歴史】
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遠景(左側が登り口)
県道487号沿い「幸海小学校」から300m程北上した1本目の路地を右折します。道は蛇行していますが、道なりに600m程東進すると「皆福寺」があります。このお寺が左手に見えた所で、下に下りていく道があります。こちらへと下りて行くと左手に3件程民家が並んでいます。ここから見て正面やや右手の山が城跡です。
左手の民家も通り越し、更にまっすぐ田んぼの間の道を行くと、未舗装の道から舗装された道に変わる所があります。この付近を右手へと山へ入っていくと登山道があります。道はしっかりしてしていて歩きやすいです。ここからだとお城の北東から入る事になります。大きな岩がありその向こう側に削平が見え出すので、城域に入った事が分かります。主郭の南西側には小さな祠が祭ってありました。また、北側に虎口があるのが分かります。遺構は大した事はないのですが、見やすくて分かりやすかったです。
矢並鈴木重就の子・重時が酒呑鈴木氏の祖で、文明年間(1469-87)矢並から酒呑に移り住み、城を築いた。鈴木一族が東方の足助へ勢力を伸ばすためにも、また、南方の松平の侵入を防ぐのにも重要な拠点であった。しかし、三代目・信重は松平に仕え、以後、子孫が徳川家康に仕えて旗本となり、江戸時代には酒呑村に陣屋を置いた。
主郭にある祠
酒呑城縄張図  原図:石川浩治氏
愛知県中世城館跡調査報告書U(西三河)より