長田館 |
別名 | |
所在地 | 豊田市司町6丁目 |
遺構等 | 堀跡、説明板 |
現状 | 宅地、田畑 |
築城年 | |
築城者 | 長田忠致 |
歴代城主 | 長田 |
形式 | 館 |
訪城日 | 2007/11/17 |
おさだやかた |
名鉄三河線「上挙母駅」から南へ約500m、愛知環状鉄道「新上挙母駅」から南南東へ約700m。名鉄「上挙母駅」のすぐ西側道路を500m程南下すると、道路左手の駐車場に説明板があります。この付近が館跡です。周辺の余白に駐車しました。 |
この館は長方形で、北郭、中郭、南郭とあり、各郭部の濠は周囲370m、幅4mの掘割で、東門、西門、参談門、仕米門などがあった。長田氏は桓武平氏の後裔で伊勢平氏の一族で、尾張知多野間内海の荘司館時代に源氏の家人となり、平治2年(1160)正月3日、忠致・影致父子は源義朝を討った。平氏の勢力が尾張三河に及び、仁安3年(1168)頃、この地は八条院三河国高橋荘衣郷に忠致父子が入部する。治承4年(1180)源頼朝が挙兵し、源氏優勢となると長田父子は推参し各地で軍功を立てた。建久元年(1190)10月27日源頼朝の命により父子共に誅せられた。 |
説明板から南へ1本目の細い路地を右(西)へ入ると田んぼが一段低くなっています。これが堀跡のようです。 |