小美城 |
別名 | |
所在地 | 岡崎市小美町深萩 |
遺構等 | 碑 |
現状 | |
築城年 | |
築城者 | 米津四郎右衛門 |
歴代城主 | 米津、板倉 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2004/3/13 |
おいじょう |
国道1号「大平町」信号を東へと県道35号に入ります。東名高速のガードをくぐって2km弱行くと、「小美」の信号があるのでこれを右折します。少し南下して「美保橋」で乙川を渡るよりも手前の路地を左に入ったちょっとした高台に、江戸幕府の初代京都所司代である「板倉勝重公生誕地」の碑があります。この付近が城跡です。 |
碑がある他には、特に何も見当たりませんでした。 |
米津四郎右衛門が築城したが、後に深溝松平氏の祖である大炊助忠定が攻略して領地とした。その後、この地の住人であった板倉八右衛門頼重が忠定の臣下となって居城した。石碑にある勝重は、頼重の孫にあたり、初の江戸町奉行所や京都所司代となっている。 |
板倉勝重公生誕地の碑 |