円山城
御蔵小学校の西側で県道357号と県道33号の交差点を南へと県道33号に入ります。川を渡ってすぐ東の山頂が城です。城へは、川を渡って50m程南下した横断歩道を左へ入り、すぐを左手の山に入って山頂目指して東へ登るか、川を渡ってすぐを左折した右手墓地の右手(西)から登るかとなります。どちらでも、道は所々にあるものの山頂への道ではないため、直登となります。
【感想・メモ】
私は横断歩道側から登り、墓地へと下りました。城跡の西端に三郭があり、その東の主郭との間に堀切があります。主郭切岸が6m程と高く見応えがあります。主郭の東には二郭があり、その間にも堀切があります。この2つの郭は広さがあって気持ちいいです。城跡内は、木が間引きしてあり、針葉樹で葉がなかったため、とても見やすく、遺構も完存で存分に楽しめます。

【歴史】
足利六代将軍・義教に仕えた鈴木和泉守高国が築城し、2代・円山蔵之輔義清、3代・鈴木筑後守高教と続いた。高教は永正8年(1511)山城国船岡山の合戦の功により、足助ノ庄阿摺郷に領地を賜った。4代・金丸は一時深谷姓を名乗り、元亀3年(1572)三方ヶ原合戦で織田信長に属して従軍し、戦功により織田家の紋を拝領し、姓を鈴木に戻して、鈴木甚五左衛門金正といった。天正3年(1575)長篠合戦で、織田徳川連合軍に属し、討死した。

登城口

主郭と二の郭の間
の堀切

円山城縄張図  原図:佐分清親氏
愛知県中世城館跡調査報告書U(西三河)より
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別名 阿摺城、足利村古屋敷
所在地 愛知県豊田市(足助町)御蔵町字引地・廣石・床浪
遺構等 曲輪、堀切、櫓台
現状 山林
築城年
築城者 鈴木忠兵衛
歴代城主 鈴木忠兵衛、原田弥五郎、鈴木、円山、鈴木
形式 山城(比60m)
登城口から主郭まで約10分
訪城日 2007/2/24

二郭から主郭を臨む
城跡の地図
【道案内】
まるやまじょう