| 洞城 |
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| 別名 | 本多屋敷 |
| 所在地 | 岡崎市洞町字本郷10 |
| 遺構等 | |
| 現状 | (額洞寺北側)畑、宅地 |
| 築城年 | |
| 築城者 | 本多平八 |
| 歴代城主 | 本多氏、山下氏、大河内氏、多聞氏 |
| 形式 | 平城 |
| 訪城日 | 2005/5/8 |
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| ほらじょう |
| 額洞寺北の曲輪跡 |
| 国道1号「大平町新寺」信号を東へ入り、500m程東進した「大平町駒場」信号を左折します。500m程北上した「洞町」信号を右折し200m程行くと、信号の無い交差点に出るのでここを左折します。1つ目の路地を右折すると左手に額洞寺があります。このお寺の北側が城跡です。 |
| 額洞寺の裏手(北)へ回ってみると(東名高速のガード沿い)、何となく堀跡と曲輪跡っていう雰囲気のところがありました。 |
| 本多屋敷とも言われ、本多平八郎忠勝の居住地である。本多氏は豊後国本多郷に居住していた事から本多姓を称し、本多助定は足利尊氏に仕えたという。助定から5代目の助時は、松平泰親に仕え、信光の安祥城奪取や親忠の井田合戦に戦功があった。助時の孫・忠豊と、その子・忠高の頃は西蔵前に居住しており、忠勝の時に、洞へ移った。忠勝が浜松へ移った後は、山下庄大夫が居住した。 |
| 額洞寺 |
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| 堀跡 |