本郷城 |
別名 | |
所在地 | 岡崎市東本郷町高畑 |
遺構等 | 城主生誕の碑、説明板 |
現状 | |
築城年 | |
築城者 | 植村新六郎氏義 |
歴代城主 | 植村 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2005/4/2 |
ほんごうじょう |
国道1号で矢作川を西へ渡って1.2km程進んだ「安城街道入口」信号を左折し県道47号へ入ります。1.3km程西進すると「東本郷」信号がありますが、この信号の手前150m、信号からだと3本目の路地を右(南)へ入ります。少し行くと左手に公民館のような建物があり、その前に説明板があります。ここが城跡です。 |
今は、城主生誕の碑と説明板があるのみで、他には特に何もありません。 |
明応2年(1493)、土岐源三郎持益が遠州植村から移り、北本郷村に屋敷城を築いて姓を植村と称した。その子・新六郎氏義は東本郷村へ移り、氏義の子・栄安と共に松平清康に仕えた。天文4年(1535)、清康が守山で阿部弥七郎という家来に殺されると(守山崩れ)、栄安はその場で弥七郎を殺し、主君の仇を討った。天文18年松平広忠も城内で近臣の岩松八弥に殺されたが、その時も逃げる八弥を討ち取った。その後、家康に仕えて本郷城主となった。その子・栄政は、三河一向一揆の小豆坂の戦いで戦功があり、大和・高取城主となった。 |