保久城 |
別名 | |
所在地 | 岡崎市(額田町)保久字市塲 |
遺構等 | 曲輪、堀切、碑、(模擬櫓) |
現状 | 下山小学校南西の山林 |
築城年 | |
築城者 | 山下左衛門 |
歴代城主 | 山下、日下部 |
形式 | 山城(比30m) |
訪城日 | 2005/9/3 |
ほっきゅうじょう |
主郭北の山にある模擬櫓 |
県道35号の鍛埜地区で北へと県道336号に入り、4〜5km行くと、左手に「下山小学校」があり、小学校のすぐ南西に「下山地区体育館」があります。この体育館のすぐ南西の山が城跡です。 |
小学校の西側の山に模擬櫓(野鳥観測施設のようです)がありますが、城跡はこの南側の山です。城跡は削平がはっきり分かるものの、夏場のため藪だらけでした。模擬櫓がある山と城跡の山の間に堀切が残り、体育館から堀切へ行く間に、お城の説明が刻まれた城址碑があります。 |
室町時代、山下義道が幕府奉行衆として下野から三河に移り、保久を本拠として7カ村を領した。子の義材がここに築城したが、応仁の乱以前(1457-66)に、義材の孫・重久が松平信光と戦い落城した。重久の子の重勝・重仲は築瀬と姓を改め、保久に留まった。 |
堀切 |
保久城縄張図 原図:奥田敏春氏 愛知県中世城館跡調査報告書U(西三河地区)より |