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県道35号「茅原沢町」信号を北上します。乙川が左手に道路沿いから少し離れ、また近づいてきた付近の右手角に、やたら色んな石碑が集まっているスペースがあります。その一番右端に、「御城跡入口 是より一七三米」の石碑があるので、その路地を右に入っていきます。すると今度は左手民家の脇に「城跡入口六十米」の石碑があるので、それに従い左手へ入っていきます。すると城跡です。 |
【感想・メモ】 |
少し上ると主郭で、通信設備が邪魔ですが梅の木が数本あって、綺麗に咲いています。主郭奥には城址碑もあります。主郭から少し東へ行くと、かなりはっきり分かる堀切があります。なかなか見応えがあるので、上の方まで行き、堀切に下りてみると楽しいです。また主郭の外側周囲を見て回っていたら、藪に隠れながら石積みがありました。この主郭、畑に使っていたみたいだから、その時に土留め用に積んだものみたい。。。 |
【歴史】 |
城主である粟生氏は、鎌倉時代(喜元3年・1305)三河守護であった足利氏の被官として秦梨郷郷司職に任命され入った。その後、永禄年間に松平氏に屈して去るまでの約300年間、この地を本拠とした。 |
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秦梨城縄張図 原図:奥田敏春氏
愛知県中世城館跡調査報告書U(西三河)より |
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