城跡の地図
箱柳城
別名
所在地 岡崎市箱柳町日陰
遺構等 曲輪、石垣、碑、説明板
現状 竹林
築城年 正長年間(1428-29)
築城者 中根平右衛門盛清
歴代城主 中根
形式 丘城(比10m)
訪城日 2004/3/13
【道案内】


【感想・メモ】
はこやなぎじょう
【歴史】
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国道1号「島町」信号を北へと県道477号へ入ります。3km程進んだ「稲前橋北」信号で県道477号は左折となりますが、ここを直進します。東名高速のガードをくぐり3km程東進すると、道の右手に「箱柳城跡」の立派な石碑が目に飛び込んできます。ここから先は、城跡までの案内があと何メートルか距離も併記してあるため、それに従えば辿り着けます。
城跡へ入った途端、一面の竹林。その中で目に飛び込んでくるのが石垣!何でこんなに石垣があるの?というくらいに石垣がある!!曲輪が段上にある部分全てに石垣があり、箱柳城跡なんて表示が石垣の上に挿してある。この表示がある所の石垣は、藪も取り払われているのでとっても見やすい。それにしても一体どうして?っていう感じ。どんどん上の曲輪へと見ていったら、上の方は河川の石を使ってあるのか平ぺったい石になっていた。でも、上の曲輪まで石垣がある。今度は、城跡へ入って左手の下の曲輪へと下りてみた。すると、やっぱりこっちも石垣が至る所にあり、竹林の中を石垣見たさに歩き回っちゃいました。う〜ん、いつの時代の石垣なのか不明だけど(畑として使ってた可能性も大)、竹藪を全て払ったら石垣群のお城で壮観かも?それにしても、お城のつくりとしては、何となく居館っていう雰囲気に感じたんだけど。。。また、箱柳城の城主だった中根氏の菩提寺である妙恩寺が城跡の正面にあります。お寺の前に中根氏の説明があり、鎌倉時代の豪族だった頃の中根氏祖の墓もありました。
正長年間(1428-29)、中根平右衛門盛清が築城した。八代目・中根肥後守忠良の時、この城を拠点に道根六郷(箱柳・坂田・田口・小呂・岩谷・中畑の6カ村)を支配した。忠良の次男・平左衛門正照は徳川家康に仕え、遠州二俣城の城主となった。