国道155号「小倉」信号を南下し、2つ目の信号を左折し「青海団地」の中へ入っていきます。そこからは、「城山公園」の案内があり、それに従って左折すると、左手に城山公園駐車場があります。城山公園が城跡です。
【感想・メモ】
主郭東下の曲輪への虎口には鳥居があります。主郭には模擬天守があり、それより一段高い所にある佐治神社が櫓台です。模擬天守の前には説明板があり、それより左側には城跡碑もあります。主郭から北側へ下りて行くと遊具がある二の丸へ。土塁が残っているけれど、写真を撮るのに遊具が邪魔になるぅ!二の丸から階段を下り右手へ行くとるか、三の丸が広がっています。そこから西側の滑り台をダンボールで滑り落ちると(階段もあるけどねっ!)、帯曲輪があります。ここで、「梅が咲いてるよ」と声を掛けてきた人が居たので、一緒に梅を見たり、他に咲いている花を探しました。あとは四の曲輪・五の曲輪・・・と西へ広がる曲輪を見に行こうと思いましたが、すごい藪で行けませんでした。でも、国道155号から、湿地帯と堀の雰囲気が分かります。また、主郭東下の青海保育園〜天満社付近にかけて土塁と曲輪が残っているようなので見に行きましたが、保育園の周囲は崖崩れ防止でコンクリートで固められているものの、天満社の南側は曲輪が分かりました。
【歴史】
一色氏が築城した後、近江出身の佐治氏が城主となった。佐治氏は織田氏に属し、信長死後は秀吉に従わず、小牧・長久手の合戦で家康に味方したため、秀吉の怒りをかい滅亡した。その後、織田長益が居城したが、大草城に移ったため廃城となった。
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大野城縄張図 原図:高田徹氏
愛知県中世城館跡調査報告書W(知多地区)より |
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