長束屋敷 |
別名 | |
所在地 | 愛知県稲沢市長束町沙弥 |
遺構等 | 碑 |
現状 | |
築城年 | |
築城者 | 長束正家 |
歴代城主 | 長束正家 |
形式 | 屋敷 |
訪城日 | 2003/6/15 |
なつかやしき |
長束•梅公園の400m程南側付近が屋敷だったようです。 |
「長束屋敷跡」碑は、400m程北側の「長束•梅公園」南西端に移動していました(2024年確認)。 屋敷跡周囲は一面の田んぼとなり、付近から巨石がいくつか出土したので、その石でこの碑を作ったらしいです。 |
長束正家は、武勇にも優れていたが、特に数学がよく出来、豊臣秀吉に仕えて財務を担当していた。後に大蔵大輔となり、五奉行の一人として、近江・水口城の城主となった。秀吉死後は秀頼に仕え、関ヶ原の戦いでは西軍・石田三成に味方したため、近江・日野にて殺された。 |