宮後城 |
別名 | 蜂須賀屋敷 |
所在地 | 江南市宮後町上河原72 |
遺構等 | 碑、説明板 |
現状 | 宅地、道路 |
築城年 | |
築城者 | 蜂須賀小六 |
歴代城主 | 蜂須賀 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2008/8/2 |
名鉄犬山線「柏森駅」から西へ約1.5km。県道64号「宮後」信号から150m程東進した付近が城跡です。通り沿い左手(北)に蜂須賀家政誕生の碑が、右手にお城の標柱があります。 |
通りの1本裏手にある説明板
みやうしろじょう |
城域は県道64号から南方約150mにある宮後八幡社をも含み、東西120m、南北150mにも及んだという。現在は道路で分断されており、道路北側に蜂須賀家政公誕生の地の石碑と説明板があり、道路南側の廃屋背後にもお城の説明板がある。宅地化が進んだため、遺構はありません。 |
通り沿いの標柱
土岐氏が美濃・尾張を領有していた応永年間(1394-98)、尾張を治める要地として安井氏が居城していた。天文年間後半、蜂須賀小六は母が安井氏の娘であったため、母の在所であるこの地に住み、木曽川の川並を支配した。小牧・長久手の戦いの終結後に講和条約として破却された。 |