岩倉城 |
別名 | |
所在地 | 岩倉市下本町城跡 |
遺構等 | 堀跡、碑、説明板 |
現状 | |
築城年 | 明応年間(1492-1501) |
築城者 | 織田敏広 |
歴代城主 | 織田 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2005/3/5 |
いわくらじょう |
名鉄犬山線「岩倉駅」から東南に約500m。県道25号「大地町」信号を北へ入り、150m程北上した次の信号「大地町北」を右折して県道25号を東進し、名鉄犬山線を陸橋で越えます。陸橋を渡り終えてから最初の信号「下本町下市場」を通り過ぎて100m程東進した道路右手が城跡です。 |
城跡には、説明板と城址碑、そして祠があります。県道を通すため、平成2年に発掘調査が行われた際、この城址碑がある場所より南側に堀跡などが確認されたそうです。 |
明応年間(1492-1501)、織田敏広が築城した。敏広は尾張守護・斯波氏に属し、この岩倉城を拠点に守護代として、丹羽・葉栗・中島・春日井の尾張4郡に勢力を誇っていた。ところが、尾張には清洲城を本拠とする別派の織田敏定がおり、尾張南部にて活躍して両者は絶えず争っていた。その後、弘治3年(1557)岩倉城主4代目・信安の時、清洲城主は信長となっており、信長と信長の弟・信行の間で相続争いに不穏な動きが出た際、信安は信行の味方をした。そのため信長に攻められ、永禄元年(1558)浮野合戦で敗北し、翌年、岩倉城は落城した。 |