隠斉屋敷 |
別名 | |
所在地 | 名古屋市中村区並木2丁目 |
遺構等 | |
現状 | 宅地、(禅養寺西) |
築城年 | 天正年間(1573-91) |
築城者 | 副田与左衛門吉成入道隠斉 |
歴代城主 | 副田 |
形式 | 屋敷 |
訪城日 | 2003/6/1 |
いんさいやしき |
近鉄名古屋線・JR関西本線「八田駅」から北へ約300m。県道115号「岩塚駅」信号を南へと県道229号へ入ります。300m程南下した「豊国通6」信号をを過ぎ、更に450m程南下した路地を右折した付近が屋敷跡です。 |
屋敷跡付近は宅地・道路などになっており、何も残っていません。屋敷跡から東へ500m程のところにある「禅養寺」は居住した副田氏を唯一の檀家として成立しており、すぐそばに末裔が今でも住んでみえるとのことです。 |
小牧長久手の戦い(1584年)の後、秀吉は妹の旭姫を夫だった副田与左衛門吉成から取り上げて、家康の正室として送り、和睦を結んだ。その時、秀吉は、与左衛門吉成に5万石を加増しようとしたが、与左衛門吉成はこれを断り、烏森村へ戻って隠居した。そのため、隠斉と号した。 |