星崎城 |
別名 | |
所在地 | 愛知県名古屋市南区本星崎町本城765 |
遺構等 | 井戸、碑(小学校、秋葉神社)、説明板 |
現状 | 笠寺小学校 |
築城年 | 治承年間(1177-81) |
築城者 | 山田重忠 |
歴代城主 | 山田、山口、岡田、山口 |
形式 | 平山城 |
訪城日 | 2004/10/13 |
ほしざきじょう |
長命井戸 |
笠寺小学校にある城址碑と説明板 |
名鉄「本星崎駅」から北西へ約350m。国道1号「本地通3」信号を東に300m程行った所に「笠寺小学校」があります。ここが城跡で学校の南東側隅に城址碑と説明板があります。それ以外に、もっと古い石碑を発見!場所は、笠寺小学校と同じ位の高台にある学校校庭の西側の秋葉神社の社殿横。どちらにしても、周囲より少し高台になっていて、見晴しがいいです。また、井戸は小学校から南へ70m程の集落の中にあります。 |
小学校内の碑や説明板は、学校が休みだと入れくて見られない時もあるのが残念です。秋葉神社の城址碑を発見したときはビックリしたけど、神社境内から学校の校庭が良く見え、出曲輪だったのかなぁって雰囲気。また、井戸は築城前からあったようで、信長に、ここの井戸の若水を献上していたらしい。。。井戸から更に南に星宮神社という古い由緒ある神社があるのですが、この神社はもともと、現在の笠寺小学校にあったのだけど星崎城を築城する際に、少し南の現在地に遷したとか。 |
治承年間(1177-81)、山田重忠が築城した。戦国時代に岡田直教が入城し、その子・直孝は信長の次男・信雄の家老となったが、信雄と秀吉が不仲になり、秀吉の計略によって信雄に殺害される。天正12年(1584)、直孝の家臣だった元寺部城主・山口重勝が城主となった。重勝の娘が秀吉の甥・関白秀次の側室となったが、秀次が秀吉によって自刃に追い込まれた後、他の子息妻妾と共に処刑され、重勝も累刑で自刃させられた。その後、織田氏に仕えた岡田重善・重孝が城主となるが、天正16年、信雄の伊勢移封に伴い、家督を継いだ重勝の養子・重政が伊勢の茂福に領地換えとなったため、廃城となった。 |
秋葉神社にある城址碑 |