福島宰相邸 |
別名 | 福島館 | ||
所在地 | あま市(美和町)二ツ寺屋敷 | ||
遺構等 | 碑、説明板 | ||
現状 | 宅地 | ||
築城年 | |||
築城者 | 福島正則 | ||
歴代城主 | 福島 | ||
形式 | 館 | ||
訪城日 | 2005/7/2 | 感想 | − |
ふくしまさいしょうてい |
県道65号(西尾張中央道)「丹波」信号を東へと県道126号へ入ります。政則小学校から南側の道路を200m程西進した5本目路地を右折し、150m程北上したあたりが屋敷跡です。周囲の道は狭いですが、説明板の前に車1台分スペースがあります。 |
碑の西南に正則の屋敷跡があったといわれています。また、北へ約150m程行くと、福島正則の菩提寺である菊泉院があります。 |
賤ケ岳の七本槍筆頭と知られる福島正則の生誕地。正則は幼名を市松と言い、秀吉に仕え、山崎の戦い、賎ケ岳の戦い、九州征伐、小田原征伐、朝鮮出兵などで活躍した。文禄4年(1595)、清洲24万石の城主となった。しかし、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いでは、文治派の石田三成と対立し東軍に加わった。その戦功により、安芸備後49万8千石を領するが、正則没後は福島家は断絶した。 |