城跡の地図
八輪小学校から県道8号で1.7km程南下して右手に秋葉神社を過ぎた次の路地を右折します(ここを左折すると「光耀寺」)。120m先の1つ目路地を右折して150m程進んだ付近が城跡です。

 <移築門>
・八開村赤目「一心寺」(赤目城から西北に約300m)
横井氏は室町末期から戦国期まで海西・海東郡を領有した豪族で、江戸時代に入ると尾張藩主から給人として特別な待遇を受けていた。明応2年(1493)、横井時永は赤目城を築き、一族を率いてこの地に移った。二代時勝は足利13代将軍義輝の幕下に加わり、三代時延は信長に属して長島一向一揆鎮圧に活躍し、四代時泰は信長・信勝に仕え、信勝没後は秀吉・家康に属して家名を存続した。時泰の次弟・時雄は父・時延と共に一向一揆で討死にし、三弟・治太夫は紀州徳川家に属して紀州横山家を起こし、四弟・時朝は関ヶ原合戦の戦功により海西郡藤ヶ瀬村で1200石を得て藤ヶ瀬横井家の祖となり、五弟・時久も関ヶ原の戦功により祖父江1900石を得て祖父江横井家の祖となった。

『史跡散策 愛知の城』山田柾之著 参照
【歴史】
城跡は周囲より一段高く、城跡南側に城主の末裔が建てられた「赤城神社」があり、「赤城神社と横井家」という説明板も設置されています。城跡付近には、堀跡と思える水路もありました。
<2010年7月訂正>
城跡宅の門を現存門(黒門)として紹介しておりましたが、ご当主の方から現存門ではないとお教え下さいました。鬼瓦のみが残っており、資料庫に保管されているとのことです。また、津島市の蓮台寺にある門を移築門として紹介しておりましたが、これも史実にはないとのことで抹消しました。間違った情報を掲載して申し訳ございませんでした。
赤目城
別名 横井屋敷
所在地 愛西市(八開村)赤目町杉土居90
遺構等 移築門
現状 宅地、畑
築城年 明応2(1493)
築城者 横井時永
歴代城主 横井氏
形式 平城
訪城日 2004/6/5 感想

【道案内】
あかめじょう
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一心寺にある移築門

【感想・メモ】