菅沼城 |
別名 | 菅沼本城 |
所在地 | 新城市(作手村)作手菅沼字経蔵 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀 |
現状 | 林 |
築城年 | 正長元(1428) |
築城者 | 菅沼信濃守定直 |
歴代城主 | 菅沼 |
形式 | 丘城(比10m) |
訪城日 | 2005/4/17 |
すがぬまじょう |
菅沼城縄張図 原図:奥田敏春氏 愛知県中世城館跡調査報告書V(東三河地区)より |
県道35号沿いの「菅守小学校」から300m程北上した「菅沼バス停」の先で左折して県道337号に入ります。左の丘が城跡ですが、左折後300m程行った路地を左折し、菅沼川を渡ります。右手に津島神社を過ぎ少し行くと左に登る道があるので左折します。すぐに通信アンテナがあり、更に行くと墓地があります。この墓地から手前左手が城跡です。 |
墓地より手前を左側(西)に入って行くと曲輪があり、そこにも土塁があります。更に奥(北)へ行くと、立派な土塁と空堀が残っています。 |
正長元年(1428)、菅沼俊治は南朝の皇子・寛政親王に味方して挙兵したが、敗れて菅沼へ帰った。しかし、将軍足利義教は土岐興安らに攻めさせ俊治を殺した。その恩賞として、興安の一族である土岐定直に菅沼城を与えた。定直はここで菅沼を称した。 |