城の腰城 |
城址碑から上がり、上から県道の向こう側を見ると、同じ位の高さで土塁が続いていたのが分かります。また、この標柱がある県道沿いに少し北へ歩くと、左手に空堀があります。ここの空堀には、猪垣のようなものがありました。この空堀に入った左手(南側)の土塁を登ると、曲輪が分かり、曲輪を巡るように土塁が残っています。更に、一段下の南の方へと行くと、ここには石垣が。これは当時のもの??既に私ではよく分からない状態。でも、この南側の曲輪には、右手(西側)に空堀がありました。更に、道の反対側(川側)へ行ってみたら、土塁がありましたが、こっちは、川沿いに桜の木があり、とっても綺麗でした。 |
国道1号「音羽」信号を北上し、県道332号へ入ります。作手方面に向かい、途中Y字を右手県道322号へ進みます。萩小学校を左手に越え、更に300m程行くと、右手の山陰川が道路沿いから少しずつ離れていく所があります。この付近が城跡です。道沿いの左手「城の腰跡」の白い標柱が入口で、周辺の道路余白に駐車しました。 |
別名 | 城の古址城 |
所在地 | 豊川市(音羽町)萩町二反田 |
遺構等 | 曲輪、土塁、堀切、碑 |
現状 | |
築城年 | 永禄年間(1558-1570) |
築城者 | 奥平周防守 |
歴代城主 | 奥平 |
形式 | 館 |
訪城日 | 2003/4/6 |
しろのこしじょう |
城の腰城縄張図 原図:石川浩治氏 愛知県中世城館跡調査報告書V(東三河地区)より |
永禄年間(1558-70)、奥平貞久の四男・主馬允貞信が築城したが、後に萩城へ移った。 |