城跡の地図
大崎城
別名
所在地 豊橋市船渡町字城戸中
遺構等 空掘、井戸、土橋、土塁、曲輪、碑
現状
築城年 戦国時代
築城者 戸田氏
歴代城主 戸田、中島、伊藤
形式 丘城
訪城日 2002/12/14
【道案内】


【感想・メモ】
おおさきじょう
【歴史】
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大崎城縄張図  原図:高田徹氏
愛知県中世城館跡調査報告書V(東三河地区)より
県道2号で、西方に「龍源院」がある所から150m程北上して斜め左へ左折し、1本目のカーブミラーがある所を左折します。かなり細い道ですが、その道を突き当たりまで行くと、稲荷社になっています。ここには、車が2〜3台置けるスペースもあり、「大崎城の空堀を守ろう!」みたいな内容のちょっとした看板も出ています。この稲荷社を入ると、いきなり、大崎城本丸の碑が。(でも、本当の主郭は、ここの南の曲輪のようです。)
いきなり巨大な空堀が・・・ス・スゴイ!!思わず、北から空堀に下り反時計周りで半周以上回って見ました。ここは、この稲荷社の北と南に更に曲輪があるようです。北側の曲輪は、宅地化されたようですが、北端には土塁が残っている模様。更に、空堀は、最初入った曲輪の南側にある曲輪(主郭)を取り囲むように龍源院まで続きます。主郭の東側の土塁を下り、そこから主郭の方を眺めると、これぞ土橋だ〜とはっきり分かる、土橋が見られます。土橋を通って、主郭に入ると、そこには、井戸と、大きくて変な形の窪みがあります。この窪みは人為的なもの。主郭の中に、こんな深い窪みがあるのは何故??と思いながら、今度は、主郭の南側の空堀へ下りて見る。ここの空堀もスゴイ。高い所で10m位、平均して深さ4m、幅は底部3m、上部5m程の空堀が続いています。
今川氏に攻められ落城した今橋城に対抗して築かれたお城。幕末には陣屋になっていた。