城跡の地図
二連木城
別名
所在地 豊橋市仁連木町
遺構等 曲輪、土塁、横堀、碑、説明板
現状 公園
築城年 明応2(1493)
築城者 戸田宗光
歴代城主 戸田
形式 平城
訪城日 2003/3/12
【道案内】


【感想・メモ】
にれんぎじょう
【歴史】
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二連木城縄張図  原図:高田徹氏
愛知県中世城館跡調査報告書V(東三河地区)より
東田小学校と東田公園の間に位置する大口公園が城跡です。国道1号「吉田大橋」で豊川を南へ渡り、200m程南下した「西八町」信号を左折し国道1号をキープします。900m程東進した「東八町」信号を左折し、500m程東進した「東田南」信号を過ぎ、300m程東進した5本目の路地を左折します。500m程北上すると右手に大口公園があります。駐車場がないので注意してください。
公園入口に、「二連木城址」の標柱があります。また「大口公園ご案内」という看板に、二連木城についての説明も載っています。ここを公園と思って侮るなかれ!周囲に空堀と土塁が巡らされていて、なかなか良い感じ。おまけに、立派な城址碑もありました。主郭部分を残して周囲は宅地化されています。
田原で勢力を誇り渥美半島を統一した戸田宗光が明応2年(1493)築城した。宗光の嫡男・憲光は二連木城を継ぎ、その子・康光は天文10年(1541)次男・宣光を牛久保の加治城から二連木に移した。宣光は今川に属して生き延び、次の重貞は今川義元の子・氏真を見限って松平氏についた。天正18年(1590)家康の関東移封に伴い、その時の城主・康長は武蔵国東方で1万石の領主となり、宗光以来97年続いた二連木城は廃城となった。