岩広城 |
別名 | 広瀬城 |
所在地 | 新城市富沢字破城 |
遺構等 | 曲輪、空堀、土塁、碑 |
現状 | 田畑 |
築城年 | 正和2(1313) |
築城者 | 設楽重清 |
歴代城主 | 設楽 |
形式 | 平山城(比20m) |
訪城日 | 2003/2/11 |
いわひろじょう |
岩広城縄張図 原図:高田徹氏 愛知県中世城館跡調査報告書V(東三河地区)より |
JR飯田線「茶臼山駅」を南下し、すぐ南側の国道151号「茶臼山駅入り口」信号を左折します。すぐに茶臼山のバス停があり、そこから最初の路地を右に入ります(バス停より20m程)。民家を抜けると一面田んぼになりますが、右手300m程向こうに岩広城の白い碑がかすかに見えます。右手に入る農道を通り抜けると城跡にたどり着きます。 |
沖野川と半場川に二方向を挟まれた格好で城跡はあり、土塁が残っています。また、城跡下の田んぼは堀跡のようです。 |
正和2年(1313)、設楽重清は設楽郷から移り岩広城を築いた。その後、設楽氏は岩広城を本城とし、川路・来迎寺に支城を築いた。天正18年(1590)、家康の関東移封に伴い武蔵国埼玉郷へ移ったが、慶長5年(1600)、関ヶ原の戦い後、設楽に戻った。 |