永禄5年(1562)、本多百助信俊が築城した。今川義元が戦死した後も、この付近では今川方が多かったが信俊は松平方だった。永禄7年、今川氏真がこの砦を包囲した際、家康が救援するため3千の兵で篭城した兵を救い、翌朝には岡崎へ帰還したという。その間、氏真はただ傍観していただけだったという。 |
枡形門跡 |
一宮砦 |
城跡の主要部のみが残っており、城址碑がある所から入るとかなり見応えのある枡形虎口があります。郭内に土塁が残り、南側には空堀が見られます。 |
一宮砦縄張図 原図:奥田敏春氏 愛知県中世城館跡調査報告書V(東三河地区)より |
別名 | 一宮城 |
所在地 | 豊川市(一宮町)一宮字宮前 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、枡形門跡、碑 |
現状 | 砥鹿神社南の竹林 |
築城年 | 永禄5年(1562) |
築城者 | 本多百助信俊 |
歴代城主 | 本多 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2003/5/10 |
いちのみやとりで |
JR飯田線「三河一宮駅」から東へ約500m。東名高速道路「豊川インター」を下りて国道151号を2km程北上し、「砥鹿神社」信号を右折します。すると左手に砥鹿神社があり、右手に神社の駐車場があります。この神社駐車場から南へ200m程行った左手に説明板があり、ここが城跡です。 |