高畠城 |
別名 | 鐘ヶ城、屋代城、高畑城 | ||
所在地 | 山形県高畠町高畠荒町 | ||
遺構等 | 堀跡、碑 | ||
現状 | 高畠小学校 | ||
築城年 | 承安年間(1171-75) | ||
築城者 | 樋瓜五郎季衡 | ||
歴代城主 | 樋瓜、伊達、小梁川、春日 | ||
形式 | 平城 | ||
訪城日 | 2006/5/3 | 感想 | △ |
たかはたじょう |
高畠町役場から1.2km程東にある「高畠小学校」一帯が城跡で、小学校西側にある池(堀跡)の横に駐車スペースがあります。 |
高畠小学校の前(西側)にL字型の池があり、これが三の丸の堀跡です。堀跡の前にお城の堀跡を示す碑がありました。 |
承安年間(1171-75)、樋爪五郎季衡が築城した。天援6年(1380)から伊達氏が支配し、慶長3年(1598)からは米沢上杉藩領になったと言われるその後、寛文4年(1664)から幕領となったが、明和4年(1767)〜天保元年(1830)の間、織田氏が三代支配した。天保2年(1831)織田信美の時、居館を高畠から天童へ移した。 |