山形県のお城 さけのべじょう
鮭延城
別名 真室城、真鶴城
所在地 山形県真室川町内町
遺構等 曲輪、土塁、竪堀、堀切、碑、説明板
現状 山林
築城年 天文4年(1534)
築城者 佐々木貞綱
歴代城主 鮭延氏(佐々木氏)
形式 丘城(比40m、標110m)
登城時間 登城口から主郭まで約5分
三連続竪堀 訪城日 2014/4/27 感想
【道案内】 登城口の地図 城跡の地図
JR奥羽本線「羽前豊里駅」から北北東へ約1km。羽前豊里駅から県道35号を900m程北上して右折し、踏切を渡った50m先の左手「鮭延城搦手門跡」表示のある所が登城口です。この通りは狭く駐車スペースがないので気を付けて下さい。
【感想・メモ】
主郭はかなり広大で、中央付近東側には大手門跡があり、北側の石碑と説明板がある付近からは眼下に真室川が見下ろせます。見所は、南東の尾根続きを遮断する三重堀切とその北側にある三連続竪堀です。
【歴史】
近江源氏佐々木氏・佐々木綱村の時に一族を率いて出羽に下り、仙北の城主小野寺氏に仕えていたが、佐々木貞綱の時、小野寺氏の南進拠点として真室郷に派遣され、天文4年(1534)に鮭延城を築いた。その後、氏孝、秀綱と続き、秀綱は16歳にて城主となり鮭延越前秀綱と称した。天正9年(1581)、最上義光に攻められ敗退し最上氏の配下となったが、戦功をあげ最上氏の重臣として仕えた。元和8年(1622)最上家改易に伴い秀綱は幕府老中土井利勝に預けられ、翌元和9年、新庄藩祖戸沢政盛が入城したが、寛永2年(1625)に新庄城を築き移ったため鮭延城は廃城となった。
参考資料】
『山形県中世城館遺跡調査報告書 第3集(庄内・最上地域)』山形県教育委員会発行
『日本城郭大系』新人物往来社発行
登城口 遠景 南東の堀切 城址碑
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