山形県のお城 おぐにじょう
小国城
別名
所在地 山形県鶴岡市(温海町)小国町尻
遺構等 曲輪、土塁、堀切、虎口、井戸跡、説明板
現状 山林
築城年 南北朝時代(1333-92)?
築城者 小国氏
歴代城主 小国氏、大宝寺氏(武藤氏)、上杉氏、最上氏
形式 山城(比230m、標349m)
登城時間 登城口から本丸まで約30分
本丸の喰違虎口 訪城日 2014/5/4 感想
【道案内】 城跡の地図
日本海東北道「あつみ温泉IC」から県道348号を6km程東進して右折します(ココから案内有)。200m程南下した右手が登城口で駐車場が完備されています。
【感想・メモ】
登城口にある説明板から左手へ進むと、本丸まで1045m、駒立場まで645mとあります。18分程登ると北東尾根の平場に至り、ここが駒立場で、中央を削り両側が土塁のようになっています。更に尾根を進むと堀切や段郭を経て三の丸に至り、虎口が明瞭です。その西上に二の丸、本丸と続きます。本丸は土塁で囲まれており、東の虎口は喰違いになっていて見応えが有ります。南西の虎口から下ると大堀切があり、この南西が西大屋敷です。小国城は国史跡で本丸までは整備されていたのですが、西大屋敷は酷い藪で、井戸跡と思われる窪みがありました。
【歴史】
小国城は、越後と庄内の国境近くに位置する重要地点にあり、山間の街道が主要道となり、各地を結ぶ交通の要所でもあったため、城のある山麓の街道には関所が置かれていた。築城年の詳細は不明だが、南北朝時代(1333-92)には小国城主・小国兵庫頭が活躍しており、既に城や支館の存在が認められる。天文6年(1537)から天正6年(1578)までの41年間在城した小国因幡守は500石を領し、城を改修した。その後、庄内の勢力情勢に伴い、武藤氏、上杉氏、最上氏と交代していった。元和元年(1615)、一国一城令により廃城となったが、関所はそのまま置かれ、明治5年まで存続した。
参考資料】
『山形県中世城館遺跡調査報告書 第3集(庄内・最上地域)』山形県教育委員会発行
『日本城郭大系』新人物往来社発行

登城口

駒立場

三の丸虎口

本丸南西の堀切
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