松山城
別名
所在地 山形県酒田市(松山町)新屋敷
遺構等 大手門、堀、土塁、碑、説明板
現状 歴史公園
築城年 天明元(1781)
築城者 酒井石見守忠休
歴代城主 酒井
形式 平城
訪城日 2005/4/29 感想

【感想・メモ】
町役場から東進し、北へと県道362号に入ります。200m程北上した1本目の路地を右折すると左手に「松山城跡歴史公園」があります。この付近一帯が城跡で、公園に無料駐車場が完備されています。
城跡の地図
【道案内】
馬出土塁

まつやまじょう
【歴史】
TOPページへ
松山藩は、庄内藩主酒井忠勝の遺言により、三男忠恒に2万石を分封したのが始まりである。そして、三代藩主忠休は、安永8年(1779)幕府の若年寄を勤めた功績により5千石加増された。そこで、松山城築城を命ぜられ、天明元年(1781)、築城に着工した。7年の歳月をかけ工事をし、天明7年に落成した。寛政2年(1790)、落雷のより大手門が焼失したが、のち本間四郎三郎の寄進で再建された。この大手門が現存している。
大手門
ナントいっても大手門がすごいです。かなり大きくて迫力があるし、鯱まで乗っています。説明板にも大手門に関することが書かれていました。公園内には土塁もしっかり残っていますが、木がちょっぴり邪魔で見にくいです。また公園から西側の県道362号沿いには、「松山城大手前広場跡」などの白い標柱があります。他にも、公園より南東に500m程行った所(松山里仁館高校の南側)に「松山城外濠公園」もあります。