宮城県のお城 さわべじょう
沢辺城
別名 臥牛館、東館
所在地 宮城県栗原市金成沢辺館下
遺構等 曲輪、土塁、説明板
現状 臥牛館公園、八幡神社
築城年 正治年間(1200頃)
築城者 二階堂(沢辺)常信
歴代城主 沢辺氏、小野寺氏
形式 丘城(比35m、標51m)
登城時間
二郭
訪城日 2012/7 感想
【道案内】 城跡の地図
沢辺小学校の東約550m。国道4号で三迫川を南へ渡ってすぐの「沢辺西大寺」信号を左折し、川沿いに550m程東進して右手前方向へと右折します(臥牛館公園案内有)。250m程上ると右手に神社があり、その手前に駐車しました。
【感想・メモ】
神社に土壇があり、ここが主郭だったようです。北側の公園には説明板があります。浄水場が雰囲気を壊していますが、ここが実質的な主郭といった雰囲気で、その北にも郭が続きます。城の南側は学校建設のために壊されてしまいましたが、二重堀切があったようです。
【歴史】
鎌倉時代、葛西氏家臣二階堂常信の居館だった。東西130m、南北250mの規模で、西側台地には家来達の住居跡があり(根小屋)、北側は崖で三迫川が流れる。正治年間(1200頃)、二階堂常信は衣川村からこの地に移り館を築き、以後、代々沢辺氏を称した。その後大崎領となったため沢辺氏は旧黒沢村(一関市)霞館、下油田村(花泉町)蒲沢館と移り、天正4年(1576)再び葛西領となったので、12代重光の代に沢辺館に戻った。天正18年(1590)秀吉の奥州仕置により葛西・大崎氏は滅亡したが、旧葛西氏家臣であった小野寺氏は伊達氏に仕え、小野寺道行、道重、道貞の三代が居住した。
参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
現地説明板
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